第3回Mizukami Mountain Party公式より
不摂生からの脱却。走り出すきっかけは、市民ランナーによくある理由でした。
不摂生からの脱却。走り出すきっかけは、市民ランナーによくある理由でした。
高校までは野球に明け暮れていましたが、それ以降はスポーツには触れずに生きてきました。走り出したのは社会人になってから。仕事柄パソコンの前で長時間作業するので、体を動かさないとまずいな……という漠然とした気持ちだったと思います。酒もよく飲むのでダブルパンチ状態。いまさら野球やるのも面倒(お金もかかる)だし、そういうグループに入ると毎週末時間を束縛されるのが嫌だったので、誘われても行きませんでした。一人が気楽だったのと、好きな時にサクッと汗を流したい、それが走ってみようと思ったキッカケでした。
そんな僕の初マラソンは、妻と一緒に参加した2015年開催のホノルルマラソンでした。結果は4時間15分くらい。かなりキツかったです。止まるわ歩くわ、ボロボロでした。まぁ、ハワイまで行って、ガチで走る必要もなかったのですが。でもこの時に「もっと速くなれそう」という実感がありました。時差ぼけに海外レースが初マラソンなんてベストなわけがない。それから真面目に走るようになったんだと思います。
ホノルルマラソン2015ゴール後のショット。お互いガチということで、妻とは別々に走りました。
たくさんのラン仲間ができた。
2016年は練習を積んで、年間走行距離1,243km。月間100km程度で練習を積んだなんて今ではお恥ずかしい話ですが、翌年に北九州マラソンに挑戦しました。結果は3時間27分、サブ3.5を達成できました。これ以降のレースを含めて、最も達成感がありました。ゴール後にうれし泣きした記憶があります。2017年の年間走行距離は1,520kmでした。
その後もレースに出走しました。2017年の青島太平洋マラソンと2018年の京都マラソンで3時間10分切りを達成。着々とスピードが身についてきました。そして、その年の福岡マラソンで、なんとかサブ3を達成。2回目の青島太平洋マラソンで2時間52分56秒を出し、自己ベストを更新しました。淡々と結果を並べるとうまくいきすぎですね。こうしてロードは一区切りついたなと思いトレランに手ならぬ足を出すのですが、気づけば一人で走っていませんでした。いつの間にかともに走り、背中を押してくれるラン仲間が増えていました。走り出したきっかけが“一人で気楽にサクッと”だったのに、“大勢で楽しくガッツリ”に変わってしまうなんて。走ることで人生が変わったと実感しています。
福岡マラソン2018の一枚。サブ3達成のビールは格別。
山は甘くなかった。
大きいケガもなく、どんどん速くなる充実感。走ることが生活の中心になっていきました。トレランも始めて充実したラン生活でしたが、ため込んだ疲れが表に出始めました。アキレス腱周囲炎。少し走るとアキレス腱からグギグギと握雪音(あくせつおん)が出て、すぐに腫れる状態に……。2019年春頃は、歩くのも辛い日々でした。今思えばケアの方法も適当でしたし、やみくもに走るだけ。この経験を通して、初めて自分の体と向き合った気がします。
治療はとにかく走らない。かつ正しい動きをつくるストレッチを集中的に行い、無理のない足の使い方を学び、整体にも通いました。痛みをだましながらレースに参戦。八幡カントリーレース、多良の森トレイルランニング、阿蘇ラウンドトレイル(ハーフ)、OSJ山中温泉トレイルレース、水上マウンテンパーティーと山を楽しみましたが、ロードのようにはうまくいかず失敗だらけでした。とはいえ、自然を相手に走るのは爽快です。爽快すぎて異変に気付けなかったり、危険な目に遭ったりしながらも、ロードにはないハプニングがトレランの醍醐味。レース前に戦略を立てるのが楽しいし、興奮するのです。脳筋ランナーの僕には苦手なところではありますが、レースについてはまたどこかで。
石川県の山中温泉トレイル。完走できてホッとしました。
僕のラン履歴はこの辺りで終わります。7trailsでは、私の地元である熊本県球磨郡の魅力を伝えていこうと思います。まずは地元である水上村(正確には隣町の湯前町が出身)。熊本県の東南端に位置し、日本三急流・球磨川の源流がある村です。春は桜が咲き乱れ、夏は深い緑が野山を覆い、秋は紅葉に彩られる。そんな四季折々の自然を満喫できます。あまりの秘境っぷりに、ここに人が住んでるの? をコンセプトにしたテレビ番組に紹介されるほどです。
房山頂上からの景色。九州南部の山々を一望できます。
そこにそびえる秀麗な名峰、市房山。山頂からはのどかな水上村と人吉球磨の盆地を眺めることができます。天候次第では霧島連山も眺めることができ、一見の価値ありです。次回は、昨年夏に行われた「水上マウンテンパーティー」でラン仲間を招待した、実家にあるロッジや水上村の里山について紹介します。ここを拠点とした合宿も企画予定です。それではまた。
15名くらいは泊まれるロッジです。民宿として運営を計画中です。